#008
香川県坂出市
自分の時間を取り戻すために、街に賭けた選択 津坂拓也
都市ガス会社で営業を続けた十六年は、ひとつの街の暮らしを、毎日のように見つめる時間でもあった。丸亀や坂出の家々を訪ね、誰がどんな不安を抱えているか、どんな小さな希望を口にするか。数字や契約の向こう側にある生活の温度に触れ続けた日々は、津坂拓也の身体に、土地の感覚を残した。
そのあと建築と不動産の会社に移った。現場に近い場所で、営業の責任者として働いた。小さな会社で、仕事の輪郭が見えやすいぶん、自分が動けば結果が変わる実感もあったはずだ。けれど同時に、サラリーマンである限り、人生の舵を握り切れないもどかしさも増していった。自分が本当にやりたいことを、いつもどこかに置き去りにしている感覚。その違和感が、起業の根に残っていた。
街の魅力は、黙っていても伝わらない
坂出の商店街に惹かれたのは、派手さではなく、時間の層が見える景色だった。レトロで、面白い。けれど、面白さが外に出ていない。情報発信が不得意で、良さが届かない。そこに、手を伸ばしたくなった。

前職にいながら、商店街の許可をもらい、写真を投稿するためのアカウントを作った。ひたすら、レトロな景色を切り取り続けた。気づけばフォロワーは三千人ほどに増えた。街の魅力は確かにある。受け取る側がいる。あとは、ちゃんと届けるだけだと、手応えが生まれた。
その流れで、空き店舗を使ったシャッターアートの企画を立てた。さらにアンティークな車や古着を呼び、ニューレトロマーケットという形で、商店街に人の流れをつくった。自分たちもレトロな服を纏い、街の空気に合わせて場を整えた。イベントは盛り上がり、訪れた人は喜んだ。けれど、肝心の商店街側の反応は、歓迎一色ではなかった。
新しいことを望む声と、変化を恐れる空気。来てほしいけれど、来すぎても困る。来ないと困るのに、来られると落ち着かない。街には、その矛盾が日常としてある。津坂はその難しさを、熱量だけでは越えられないものとして受け取った。だから視野を少し広げた。商店街だけでなく、より広いエリアで街を捉え直していく。ここで彼の仕事は、単なるイベント屋でも、単なる不動産屋でもなくなっていった。
二〇二二年、会社を立ち上げた。建築と不動産の会社から、取締役の牧本らと飛び出した。四十を過ぎての起業は、勢いだけでは済まない。だが津坂は、それを人生を懸けた自由研究のように捉えた。自分たちがどこまでできるか、街のために何ができるか。試すなら、今しかないと腹を括った。
準備は過酷だった。退職のタイミングが早まり、無職に近い状態から超特急で整えた。補助金、クラウドファンディング、登記、資金繰り。経験のない手続きが続く中で、まず自分の足元を崩さないことに必死だった。坂出だけの不動産で勝負するというルールを掲げても、最初に舞い込む依頼は坂出の外が多い。生き延びるために仕事を受けながら、理想の場所へ届かないもどかしさと並走した。
「売る」ではなく「引き受ける」仕事
瀬居島の物件は、いわゆる敬遠された案件だった。再建築の難しさや接道、駐車場の問題。さらにエリアの認知度の低さが重なり、預かっても売れないと判断され、たらい回しになっていた。誰も手を挙げない。だからこそ津坂は、見た瞬間に感じた。これは、誰かの事業になる。ここには、用途が見つかれば生きる可能性がある。
地元の内側だけではなく、県外や遠方に向けて情報を届ける。移住や滞在の文脈で、価値を見いだす人に届けば、島の時間は開かれる。彼が物件を預かったのは、売れるからではなく、生かせる人が現れると信じたからだった。
そこへ電話が入る。代表が見たいと言っている、と。代表とは誰なのか。そういうところから出会いは始まった。現地で初めて会った宮前は、すでに島の隅々まで見てきたと言った。港から浜、山の上まで。島の全体を身体で確かめたあとに物件へ来た。その準備の深さに、津坂は驚いた。すごい人が来た、という印象と同時に、あまりに即断が早く、少し怪しさも感じたという。けれど、その怪しさは、軽さではなく、覚悟の速さだった。
取引としては、そこまでは不動産の話で終わる。だが、関係はすぐに別の形へ変わっていく。引き渡し前に、普通なら断るような頼みごとが重なった。ボイラーの灯油を入れてほしい。空港でレンタカーを手配してほしい。細かな不具合を見てほしい。津坂は、できることは淡々と引き受けた。自分にとっては、たまたまできることだった。けれど宮前側から見れば、ただの不動産屋ではないという判断材料になった。
ここに、津坂の仕事の核がある。契約で終わらせない。暮らしの困りごとを、できる範囲で引き受ける。街のために何でもやると決めた人間は、目の前の頼みごとを小さく扱えない。実務の連なりが、信頼という一本の線になる。その線が太くなったとき、双方の関係は取引先ではなく、同じ方向を向くチームになっていた。

地元をないがしろにしないという強さ
AKIYATOの宿が形になっていく過程を、津坂は要所要所で見てきた。写真を撮り、訪れ、完成前の変化を目にした。自分は作業そのものには深く入れなくても、家が宿へと変わる過程を一緒に見届けることで、街が変わる速度を実感していった。
その中で一番強く残ったのは、外から来た人たちが、地元をないがしろにしない姿勢だった。集客や売上だけを目的にすれば、地元の空気とぶつかることは多い。だが彼らは、地元の人と丁寧に関係を結び、差し入れが生まれるほどの距離に入っていった。外部の事業者で、それができる例を津坂はあまり知らない。だからこそ、売主や他の不動産会社に対しても言える。この人たちなら大丈夫だと。
瀬居島は、島でありながら埋め立てで繋がり、船で渡る旅情とは違う入り方をする。町を抜け、工場地帯を抜けた先に、突然非日常が現れる。時計の針がゆっくり進む感覚。いつでも出入りできる距離で、骨休めの時間を持てる場所。近くに泳げる場所があり、裏山にはミニ八十八ヶ所巡りもある。知られていないのに、体験の密度が高い。共同で持ち、宿泊の権利を得ながら関われることは、旅の価値の持ち方としても強いと津坂は語る。
一方で丸亀の宿は性格が違う。屋上のサウナから城を眺められるという明確なコンテンツがある。城好きや海外からの旅行者に刺さる体験で、歩いて行ける距離に城がある。津坂自身も現場を何度も見に行き、玄関サッシ周辺の外壁モルタルを塗る作業を手伝った。手が痛み、身体がしんどい。けれど自分の手の跡が残ることは、関係の濃さを静かに証明する。
二つの宿は、用途が重ならない。瀬居島はゆっくり時間を過ごすための場所で、丸亀は目的がはっきりした場所だ。だから一泊ずつ巡る旅の線が引ける。香川の時間を、別のリズムで味わえる。津坂が描くのは、宿そのものの成功ではなく、宿が街を開く導線になる未来だった。
津坂は、情報発信は得意でも、足しげく地元の人と話し、関係を深めることは得意ではなかったと言う。けれどAKIYATOのメンバーが宿を構え、地元とコミュニケーションを重ねることで、ひとつのエリアが開拓されていった。心が開かれると、紹介が増え、情報が集まり、次の可能性が生まれる。その循環を、現実の手触りとして見た。
もし坂出の別の町に宿ができれば、その町もまた開く。香川県内の別のエリアに宿が増えれば、開く範囲は広がる。やがてそれが県を越え、全国の過疎地域に広がっていけば、人が減り続ける場所にも新しい温度が戻るかもしれない。津坂はもともと坂出のために会社を始めた。けれどAKIYATOと話すうちに、夢のスケールが変わった。自分ひとりの願いではなく、同じ景色を見ようとする相手がいると、街は一つではなくなる。
香川から始める。香川で最大限手伝う。その積み重ねが、いつか全国へ繋がるかもしれない。津坂が語る未来は、派手な理想ではない。地元の人をないがしろにせず、目の前の困りごとを引き受け、時間をかけて信頼をつくり、開かれた場所を増やしていく。その地道さの中に、彼がサラリーマンの時間の中で取り戻したかったものがある。
自分の時間を、自分の手に戻すこと。街に賭けるという選択は、そのための方法だった。瀬居島の「たらい回し」の物件に手を挙げた瞬間から、彼の人生は取引ではなく関係へ向かっていった。誰も拾わなかったものを引き受ける人がいる限り、街はまだ、次の物語を始められる。
