creators_voice クリエイターの声

#005
空間デザイナー
瀬戸内の時間の痕跡に触れて、人が還ってくる居場所をつくる 内海ありさ

時間が染み込んだものに、惹かれてしまう

内海ありさが空間を考えるとき、出発点はいつも同じだという。新しく整えられた空間や、均一に仕上げられた素材に美しさを感じないわけではない。ただ、それよりも目を引くのは、使い込まれた素材や、何度も手に触れられて擦り傷や色の変化のある家具だった。そこには、意図してつくられたものではない、時間そのものが刻んだ痕跡がある。

そういった家具たちは不思議な説得力を持つと彼女は言う。言葉で説明されなくても、そこに積み重ねられてきた暮らしの密度が伝わってくるからだ。誰かが座り、誰かが触れ、誰かがそこに居続けた時間。そのすべてが静かに沈殿し、空間の一部になっている。新品の家具にはない重みが、そこにはある。

これまで空間デザインや企業のブランディングに携わる中で、彼女はひとつの違和感を抱き続けてきた。時代遅れとなり使われなくなったものを壊して新しくするのは簡単だし合理的だ。

けれど、手間がかかっても、そこにある魅力を引き出して整え、活かす方が、人の心に長く残る。そこにしか生まれない深さがある。人の記憶と結びつくことで、ほんとうの意味で居場所になる。そんな感覚が、仕事の中心に居座り続けた。

その延長線上に、空き家があった。

社会では「問題」として語られることの方が多い存在。使われなくなった建物、管理されていない空間、放置されたままの場所。けれど内海が実際に中へ入ると、空気はまだ生きており、そこには単なる空白ではない何かが残っていると彼女は感じた。家族が笑った場所、叱られた場所、何も言わずに見守っていた柱。

空き家は、役目を終えた器ではなく、物語の途中でページが閉じられたままの本のように思えた。空気は完全には止まっておらず、むしろ時間がゆっくりと沈殿しているようだった。

空間を整えることと、その場所に流れてきた時間を受け止めること。空間と物語を同時に扱える自分の強みは、ここでこそ生きるのではないか。内海はそう考え、AKIYATOの仕事に深く関わっていく。宿を増やすためではない。時間が折り重なった場所を、もう一度、人が集まる場所へ戻すために。

直感で決めるのは、建物が語りかけてくる瞬間

複数の物件が同時に動き出しても、彼女の頭の中で混ざることはない。むしろ、場所ごとにまったく違う言葉が立ち上がる。コンセプトは机上の会議でつくるものではなく、その土地に立ったときの身体感覚から生まれるという。最初に頼りにするのは理屈ではなく感覚なのだ。

同じような構造の建物であっても、そこに流れている時間はまったく異なる。土地の空気、建物の佇まい、差し込む光の質。そのすべてが重なり合い、その場所にしかない言葉を生み出していく。

佐渡で最初に手がけた川崎浪漫館では、囲炉裏のある空間を見た瞬間に、大正ロマンという言葉が落ちてきた。理屈より先に、空間がそう言っていた。二件目となった離れでは、客が入らない土間の先に、漁師道具が残された小屋があった。捨てれば終わるものを、終わらせたくないと思った。そこにあるのは道具というより、生き方の痕跡だったからだ。残すことは、古さを飾るためではない。そこに生きた誰かを、時間ごと引き受けるという意思表示に近い。

瀬居島の物件で彼女が最初に受け取ったのは、外観の彫刻や屋根の装飾が放つ、古い建物ならではの誇りだった。高台に立つと海が見え、風が抜ける。欄間の意匠も美しい。内海はそこで、これは最高のリトリートになる、と直感した。

古さを守るだけでもなく、新しさを足し過ぎるでもない。島の静けさに、人がそっとほどけていくための場所。その一点に、彼女の迷いはなかった。

壊すより難しいのは、残すことを選び抜くこと

デザインの作業は、感覚だけで進まない。エリアを分析し、どんな人がその土地に来ているかを調べ、コンセプトが現実に根を下ろせるかを確かめる。その上で平面図を引き、どの部屋をリビングにし、どこを寝室にするかを決めていく。そして最後に、残す部分と変える部分を選び抜く。

瀬居島で象徴的だったのは、納屋をサウナへ変えたことだった。元々窓があった場所を活かし、大きな窓を設け、海と庭が一望できるつくりにした。サウナにする理由は特別な流行ではなく、ただ、その場所がそうあるべきだと感じたからだ。

海が見えて、庭が目の前にある。窓を塞いでしまう手もあった。けれど内海は、光と景色がこの家の呼吸だと理解していた。あの大きな窓は、でしか成立しない贅沢であり、彼女にとっては島の時間そのものだった。

一方で、彼女が意図的に残したものがある。リビングの柱に、かつて住んでいた家族が子どもの身長を測って書き残した跡。消そうと思えば消せた。けれど彼女は残した。年月をかけて少しずつ書き足されてきたその線は、そこに家族が確かに暮らしていた証だった。そこには温かさがある。宿泊者がその跡を見て、懐かしい、と言う。誰かの記憶が、自分の記憶と静かに重なる。その瞬間に、空き家は単なる建物ではなく、人の心が戻ってくる装置になる。

さらに、元の住人が大切にしていた古い箪笥も残した。ボロボロだから捨てる、という判断は簡単だ。でも、その箪笥が嫁入り道具だったと知ったとき、内海は時間の重みを捨てることの残酷さを想像した。実際に元オーナーが訪れ、その箪笥を見て涙を流した。過去を切り捨てない選択が、誰かの人生を救うように働くことがある。内海はその場面を、自分のやりがいとして静かに胸にしまっている。

立ち上げの過程は順風満帆ではない。星島でも、見積もりが終わり、ファミリー向けの構想が固まりかけた段階で、予算の現実によりコンセプトの変更を迫られた。屋根裏を子ども向けの遊び場にする計画は取り下げになった。理想と現実の間で、何を守り、何を手放すか。内海にとってそれは、デザインの技術ではなく、思想の選択だった。整え過ぎない勇気と、諦めない執念。その両方がなければ、この仕事は続かない。

地域に受け入れられるのは、手を動かし続ける人がいるから

内海が語る星島の印象的な出来事は、デザインの話だけでは終わらない。現地で工事業者が畑を横切って怒られたことがあった。最初の小さなすれ違いは、どんな場所でも起きる。けれど、その後の関係が変わったのは、住んでいる人たちが地域の行事や清掃、祭りに参加し、顔を合わせ続けたからだった。

遠くから指示を出して回すのではなく、その土地の暮らしに混ざっていく。地域の人にとって良い場所であることを、言葉ではなく行動で示す。その積み重ねが、宿という存在を“よそ者の建物”から“集落の一部”へ変えていく。近くに住む人が鍋パーティーの場として利用してくれたことも、その延長線上にあった。宿泊施設という機能を超えて、集まるための居場所になる。内海が目指しているのは、まさにそこだった。

彼女にとって、空き家を整えることは、地域の時間を整えることでもある。建物を直すだけでは足りない。人と人の間にある距離を縮め、戻ってきたくなる関係性を育てていく。その営みの中で初めて、空間は生きた場所として立ち上がる。

やがて彼女は次の物件へ向かう。香川県丸亀市で進む新しいプロジェクトでも、内海は同じように、最初の直感を頼りにしながら、現実の制約の中で何を残すべきかを選び続ける。彼女が描く未来は、宿が増える未来ではない。空き家が可能性として語られ、過疎化した町にもう一度人の流れが生まれ、眠っていた物語が読み直される未来だ。

内海は、空き家に命を吹き込むという言い方を好まない。そこに元々あった息づかいを、もう一度感じられるようにするだけだという。時間の痕跡を消さず、誰かの記憶を置き去りにしない。その静かな誠実さが、人をほどき、また戻ってこさせる。彼女がつくる空間は、贅沢さより先に、人生の手触りを取り戻させる場所なのだと思う。